筆者のことをより詳しく知りたい方はこちら~S氏の暗黒の 時代~など

初めてまして、
個人ブログ「MINEKEMPT 我が闘争」を運営している1990年生まれの26才です。

今現在大学生として塾講師等のアルバイト等で生計を立てています。

生まれも育ちも福岡県で大学から東京に来ています。

そんな筆者のプロフィールと経歴です。

小中高とどんな生活をしたか

とにかく運動が好きな小学生

僕は小さい時から物を考えることは好きですが
何より運動が大好きなタイプでした。

小学校に入ってからは休みの日は
近くの山を越えたり。

運動会の駆けっこでブッチギリで一番になったのを覚えています。

ですが、僕の親(特に”母” この後のキーパーソン)はあまりよくは思ってはいませんでした。

小学校1年生の終わりからは
いわゆる塾に通わされたのを覚えています。

中学受験をしなさい!

って事ですね。

今になると親の立場もわかる気がします。

ぼくの親族はいわゆる”士業”が多く
医師、歯科医師、税理士、など
手堅い職業についている人が多いのです。

「いい大学に入っていい会社に入って働くのが正しい!
それ以外は決して認めない!」

今でこそ古くさい価値観ですが
地方の田舎に生まれてしまった以上
親が望むような価値観を”押し付け”られるのは当然の運命でした。

何の為にこれをするの?葛藤する毎日

小学校1年生の終わりから塾に通っていた私ですが
成績自体はとても優秀でした。

公文式などでは
小学校1年生の時点で6年生までの勉強が済んでいました。

(とはいえ、ぼくも含めて大半の人が勉強が難しくなるのは中学~そして高校からだと思います)

父はぼくに対しては
基本的に優しかったです。

一方で
母がぼくにとって
一番の"敵"であったと思います。

一言で言うならば教育ママという奴ですね。

このブログのメインタイトルに
あるように私の"闘い”がここからはじまるのです。

成績は優秀だった

小学校2年~3年と学校のなかでは
相変わらず優秀なぼく

でも通っていた塾では
小学校とは違い成績は伸び悩んでいました。

理由は簡単です。

友達と遊びたかったからですね。

塾に行く振りをして
友達と公園で鬼ごっこなんかしてました笑

親は中学受験をぼくにさせるつもりでしたが
ぼくは親とは違い
勉強には全く関心を持てませんでした

今思うと小学校1年生の時点で公文式などで6年生まで終わっていたのが良くなかったんでしょう。

ぼくは勉強舐めきってたんですね笑

話がそれてしまいましたが
何を言いたいかと言うと
公立の学校での簡単な勉強はそれで
何とかなりますけど
その上の段階になると歯が立たない訳です。

この状態に親も歯痒かったのでしょう

小学校4年の最初辺りから追加で
他の塾に通う事になります。

違和感を感じ出す小学校4年生とたった一瞬の栄光

違う塾に通い、
今までと違う環境に身を置く事で
「ちょっと頑張るしかねーかな?」
って思ったぼくは
成績がまた⤴︎るんですね、

具体的には最高順位で
九州地区上位50傑に選ばれました

(これは九州ローカル内にての順位です。全国でなくてすみません笑)

ってな訳で、塾内での選抜クラスに選ばれたのです。

その塾の選抜クラスは
福岡市の天神にある為
電車で通う事になります。

田舎モンのぼくには
成績よりも都会に行ける事が
何より嬉しかった!笑

 

すぐに選抜クラスから落ちこぼれる
でもそれ以上にぼくに深く突き刺さったたった一度の悔み

福岡市に通う事になったぼくは
塾に行く日は
必ず何時間も前乗りしていた。

早く着いて勉強する為?
予習の為?

違う笑

遊ぶ為だ!

大濠公園、太宰府、天神、博多など
福岡市内を自分の目で見なければいけないと思ったのだ。

今の都内に住むぼくには笑える話だが
当時のぼくには福岡市が世界一の大都市に思えたんでしょうね。

、、とまあ

読者の方はお気づきになられたかもしれません。

こんな感じで浮かれていたら
勉強に手は付かず成績はまた落ち始めるんですね。

街ぶらりでサボりがちになった

選抜クラスの先生からは白い目が向けられ、
休んだ事がバレだした

親には怒られる。

そんな日が続いていた中で
ぼくに始めてねイベントが訪れる

塾内にて三者面談が行われるというのだ。

ぼくと親、そして選抜クラスの先生との話し合いをするらしい。

考えてみたら
時期は小学校4年の終わりだ。

あと2年弱で周りは中学受験なのだ。

曲がりなりにもここは選抜クラス
ラサールや久留米附設、灘中など名門校を本気で狙う人がいる、。

「おぃ、マジか、、場違いじゃね?オレ??」

「いいんかいな?オレで??」

三者面談を聞いた時
こんなことを思ったのを覚えている。

そして三者面談が始まった。

ぼくとぼくの母、
そして現代文の先生の三人で話し合いをした、、。

、と言いたい所だが

実際は異なる。

大半は母と先生が、
いや母が8割~9割方
一方的に喋っていた。

ぼくは蚊帳の外だった。

先生が話す前に
母がいきなり

「ウチの息子はどうでしょうか?」

「あと、将来は私立でいいから医学部か、もしくは九州大学の文系学部に入らせて
社労士なり公認会計士にさせたいんですけどねぇ」

などと一方的に喋るのだ。

「あ~あ、、また始まった、、」

ぼくはそう思った。

とにかく我が強い母だった。

後述しようと思うが
以前からこの様な人だった。

この三者面談では
2つの事を覚えている。

1つ目にぼくは一切喋れなかったこと

2つ目に担当の現代文の先生は顔色変えずに母の話を
「あぁ、そうですか、そうなのですね、」と淡々と聞いていた姿だ。

特に現代文の先生が淡々と母の話を
否定せずに聞く姿は、否応なくぼくの脳裏に刻み込まれた。

「よく、こんなヤツの話を聞いてられるな、凄いよね」て率直に思ったものだ

後日、三者面談を担当してもらった
先生から呼び出された。

心の中で

「あぁ、ぼくは遊んでるから怒られるんだろう、」と思っていた。

だが、予想は外れた。

先生から開口一番

「お母さんどう思う?」

「ん??」←ぼく

「あのお母さんだよ、あのお母さん」

「早く離れな、じゃないと大変な事になるよ!」

ぼくも思わず「ですよね~、ホントそう思います」って

思ったのを覚えている。

僕にとっては
初めて理解してくれる人に出会えた感じだった。

父は仕事に忙しかったので
小さなぼくには
勉強を押し付けてくる母しか知らなかったのだ。

だがその後勉強をサボっていたぼくは
選抜クラスから真っ先に脱落してしまう。

福岡市とのお別れも悲しかったが
何よりぼくを理解してくれた先生から
真っ先に離された事がショックだった

賢い読者の方ならばわかるかもしれないが
当時のぼくには
頭がいい、または頭が悪い
かどうかの前に

「なんの為に勉強するのか」

「この勉強が何に繋がるのか」

など
何一つ理解していなかった。

塾もお母さんが全て独断で決めたもの。

今の僕ならば
勉強「受験」を手段にしようと考えるだろう。

受験を
母から離れた場所に行く口実にするだろう。

(後にこの考えはまた出てきます)

だが当時の小さなぼくにはそんな知恵はなかった

小学4年から6年生まで
とにかく無味無臭な時間だった

ぼくには
ここから中学校までの記憶はほとんどない。

厳しくなる母から
成績を責められ「勉強しろ!」と毎日言われるのを受け流しているだけだった。

唯一の救いは父からは
母ほどは勉強を押し付けられる事がなかった事だろう。

勉強に全く興味を持てず
目標がない僕は
糸が切れた凧みたいに
フラフラしたら毎日を過ごした。

当然
フラフラと成績も下がる。

結局は、
これまた、偏差値が50強位の
なんちゃって進学校に
行く羽目になる

入った私立中学ではビリの成績、からの退学、→地元の公立中学に入る

なんちゃって受験を終えて
他県の私立中学に入るものの、
成績は低空飛行もいい所。

定員である150人中150番を
何回取った事か、

中学2年の途中には
退学勧告を受け

中学3年の頭には
成績不振で退学となります。

今思えば、ここの思い出も
特にない。

毎日、電車で通学し
家に帰れば
母がいる環境だった、

こうなった原因は小学校の時と同じです。

何の為にここにいるのか?
勉強して何になるのか?

ここらの
「意図ある積み重ね」が
何一つ無かった事でした。

「でした」なんて書きましたが、これは20代に入るまでは変わらないところです。

公立中学で生き返る→再び
勉強を再開し

そんな訳で地元の公立中学に
入る訳ですが
とても居心地が良かった!

最初からここに居たかったと何度も思ったか!

親からは公立中学はヤ○ザの息子や
危険な奴がいるからと
よくよく言われましたが
様々な階層が集まる
公立中学の方が僕には合っていました。

公立中学だと
勉強で落ちぶれた僕も
入った時は
成績では真ん中位であったと思う。

中学3年の夏辺りから周りが受験に本腰を入れるのに合わせて
ぼくも勉強を開始した

(細かい勉強の仕方は下記の大学受験にて書きます、)

地元にいてリラックス出来たからだろうか、
結果的には
中学受験より断然高いランクの地元の
進学校に受かったのだ。

うん、、順調だ笑

高校でまた落ちぶれる

さて、いきなりタイトルを見て
「おぃまたか!」、となりそうですが

そうなんです。

また勉強しなくなります。

燃え尽き症候群と言うのでしょう。
カッコよく言えば

勉強しない事になれると、最終的に
勉強していない事を忘れる。

、みたいなね笑

理由は、、

もう書きません、笑

同じですね。

頭の中にあったのは
いかに留年だけはしないか、だけでした。

苦手意識がない
数学と英語だけはなんとかなりますが
それ以外の科目は
毎回赤点越えればバンザイ
の世界です。

トータルで見たら
英語と数学のおかげで
ビリは避けてた感じです。

こんな感じで高校に入り約2年
何一つ目標がない時間をすごします。

勉強以外で一位を取る
これだ、!これなんだ!
初めて、心から望んだ目標。

ぼくが
通っていた高校では
2年に一度、体育祭が開かれていました。

勉強が嫌いで体を動かすのが
好きなぼくにとっては
楽しみな行事です。

そんな体育祭が高校3年生の春に開かれました。

基本的には全員参加且つ
好きな競技にエントリーする形だったのを覚えてます。

その中に短距離走があり、
何気ない気持ちで
50m走に応募したのを覚えています。

奇しくも
50m走には希望者が殺到し
選考会が開かれる事になりました、

50m走希望者が学校内のグラウンドにて走り
上位者が
選抜されるのです。

そして、
ぼくはなんとなく
走る事になります。

結果から言うと、、

ぼくは陸上部の人も振り切ってダントツで一位を取りました。

タイムは「5.98」秒!

(手動で計測していますから多少の誤差があるでしょう。その後
友達に測って貰ったら「6.1~6.3秒」をウロついてました笑)

周りに驚かれたのは勿論ですが
この時に小さい時からの”違和感”の正体に気が付きます。

「やっぱり、そうだな!
勉強じゃない!
スポーツする為に
ぼくは産まれてきたんだ!」

って感じでしょうか

この脚力を何かに活かせないか?

プロスポーツは今から初めて間に合わないだろうか?

ぼくの頭はこの事で一杯です。

結局、肝心の体育祭も
ズル休みして
近くのネットカフェに
入り浸っていた。

朝から夜まで
今からでも始められるスポーツはないかと必死に調べました。

野球、サッカーは
小さいうちから
してる奴には勝てない、

柔道は畑違いだ、

陸上はよっぽどでないと食べてはいけない、、。

結局、
高校卒業に答えが出るまでは
納得いく答えは出ませんでした。

母との再びの衝突、そして喧嘩からの別居

さて、上に書いた感じで
1人で「スポーツしてやる!」と燃えている
ぼくを尻目に周りは大学受験へと突入します。

当然ですね。進学校ですから笑

体育祭の後
ぼくにとって
人生2度目の三者面談が行われます。

まあ、、また同じ様な話を繰り返します。

母の言い分は
間も変わらず、

「九州大学にぃ〜受かって」

「いい大学にいき、いい会社に入り~または資格を取って~」の繰り返しです。

もう僕も成長してる訳で
腹の中で

「くだらねぇなあ、
お前がやれよ、
お前ただの専業主婦だろ?
自分の理想を他人に押し付けるな!」

位は思う訳ですね。

この時点では
母にはスポーツの話は
しませんでした、

しても無意味なのはわかっていたからです。

周りが受験勉強する中、
本格的な筋トレやストレッチのやり方の本を開くのは
ぼく以外にはいなかったでしょう。

高校3年の12月以降の
受験期には
形だけセンター試験を受ける様に見せかけて、

大学は一つも受けませんでした、。

そう、母には一切言わないで。

センター後に
ぼくが受験をサボった
事が高校にバレて
通知が行きます。

高校を卒業する日に
父と母、ぼくで話し合いになります。

母は怒り、ぼくは我を通し
父は黙って聞く形。

結局、父を説得し
ぼくが望む形を歩める事になりました

再度の栄光と
挫折、そして受験へ

最初にぼくがここならいける!と
踏んだのは格闘技でした。
ムエタイやkー1と呼ばれる格闘技です。

詳しく格闘技知らない方に説明すると
プロ選手になる為には
練習をつみスキルを高め
プロテストに受かる必要があります。

そしたらプロの選手として
戦える訳です。

「こんな生き方をしたい」

新たな目標が出来た代わりに
実家からの支援はなくなりました。

そこで
地元の友達の家に居候させてもらい
バイトしながら
空いている時間で
練習してプロの選手になりたいという訳ですね。

計画もぼくなりに立てた。

3ヶ年計画です。

1年目にはバイトしつつお金を貯める。

空いている時間で
筋トレをメインに体を作り
競技練習を始める

2年目ではバイトと筋トレを減らし競技をメインにスキルを磨く

3年目には黒帯を取得してその後
上京してプロを目指す。

この時点でお金は200万は貯める。

黒帯と書きましたが
ぼくの地元には小さな空手道場しかなくここに通う以外はありませんでした。

バイトは近所の焼き鳥屋に
早朝の仕込みのバイトに通っていました。

早朝から
焼き鳥を串に刺すバイトです。

早朝に入れたのも意味があって
生活リズムを整える為でした。

こうして1年目は終わりました。

2年目 初めての彼女

この年も基本的には
焼き鳥→練習→筋トレ→練習の
サイクルをひたすら守っていました。

愚直な
真面目さは
ぼくのとりえです笑

この年の変化と言えば
初めて彼女が出来た事でしょうか。

友達からの紹介があって
准看護師の年上の女性と付き合って
いました。

2年目もこうして
過ぎ去ります

3年目 訪れた一瞬の栄光

この年もまた
忘れられない一年になりました。

まずは通っていた空手の昇段試験。

まじめに道場に通っていた
ぼくが昇段試験を受けたい事を伝えると

「まだ早い!、黒帯は3年は通わないと!」
なんて言われる訳ですね。

暗黙の了解で黒帯は3年は練習しないといけないと言われています。

それはわかるけれど、
今年で一区切りつけて
上京したい僕には
大問題でした。

結局、熱心に頼み込み
昇段試験を受けさせて頂くことになります。

ぼくが通っていた
昇段試験のルールはシンプルです。

道場内にいる黒帯所有者と戦い
一本を取れば
文句なしに黒帯になれます。

そして、
昇段試験当日、
試合を道場内で行いました。

結果は
ぼくが蹴りを相手の
みぞおちに突き刺して
勝ったのを覚えています。

通っていた道場内では
3年以内の黒帯は
初めてとの事もあり
3年間の成果が報われ
ぼくは有頂天でした。

この時点で21才になり時期は8月です。

やっと
来年には上京して
キックボクシングのジムに入り
プロになり~の上に行きたいなんて
浮かれていたのを覚えています。

圧倒的な挫折、自暴自棄

そんな意気揚々とした
ぼくに事故が降りかかります。

9月の終わりの日ですした。

自転車で移動している時です。

死角になっている交差点の曲がり角で
トラックとぶつかってしまいました。

お互いにスピードがあったのが不幸の元でしょう。

自転車はねじ曲がり
ぼくは
弾き飛ばされ
足を地面に強く叩きつけてしまいます

これ、
感覚はあまりないんですよね。

「痛ったい! ったく、
ってか足が全く動かない、、」

すぐに病院に行く事になり
手術になります。

ぼくは半月板を損傷してしまいます。

(足の”お皿”の箇所です)

膝にはボルトが埋め込まれ
全力疾走なんて
出来る状態ではありません。

とても落ち込むぼくに
病院の先生方からは
「一生、車椅子にならなかった事が奇跡」みたいに言われるんですね。

つまり、何が言いたいかというと
お医者さんからは
「スポーツを本格的にするのは無理ですよ」、って宣告される訳です。
この時期は付き合ってた彼女と
別れた事もあり、
自暴自棄になったのを覚えています。

「死んでしまおうか」
と何回思ったか、
ここまでが3年目の9月末です。

親との話し合い
そして大学受験を開始

10月に入り
「このままでは、さすがにいけない」と感じ始めていた僕は
次の目標を探す必要が出てきていました。

そして再び
親との相談となります。

相談の結果
『取り敢えずは大学にいけ』
となります。

「まあ、そうですよね~、」

「結局そうなりますよね~」って感じで落とし所が決まります。

志望校は東京に

まずはどこの大学を受けようかと
考えます、

「九州大学?
田舎だから嫌だな~」

「一番、レベルが上なのは東大か~、」
「いや、今から勉強し出したら5年はかかるでしょ」

「私立大学で一番難しいのは慶應か~2科目でok? 英語と数学ならなんとかなるし小論文は直前なんとかしたら間に合うかも!」

そんな訳で慶應大学を受ける事を10月頭に決めました、

今思えば、何より
東京に行きたかったんですよ。

最初にしたのは環境作りです。

ぼくは
地元の図書館に引籠もる事を決めました。

実家にいると
親(特に母親)に顔を合わせるのが
嫌だったんで
図書館横のアパートを自腹で借りることにしました。

次にどの科目を使うかの選択です。

赤本(過去問)をひたすら分析します

英語と数学どちらを使うか迷いましたが
数学は完全に捨てて
英語にしました。

数学の方が得意で
センター試験ならば
満点は取ることはありましたが
英語の方がより勝てる確率が高いと
踏んだ結果です。

自分の意思で決めた
ゴールは決まりました。

早速、英語の参考書を買い集め
図書館で
ひたすら没頭して
中学生→高校生→センター→それ以上の大学用と
単語などを積み重ねて行くのみです。

勉強をサボっていた

ぼくは
中学生用途の参考書から
開始して
ひたすら積み重ねました。

後に書きますが
ぼくは、どんな分野であれ
“積み重ね”が全てだと考えています。

愚痴を言う暇があれば
積み重ねるしかないと
観念しています 笑

「一人で寂しいし逃げたいけど逃げたら何もなくなっちゃうなオレ」
ってよく言い聞かせて毎日取り組んでました。

小論文なんかも同じです。

正しいやり方を把握して
ひたすら積み重ねます。

ぼくは特殊なんでしょうが
周りの人が受ける予備校模試なんて
一回も受けませんでした。

「なんとなく受けてどうするの?
過去問といたほうが全然いいじゃん」

こう思っていたからです。

そして来年の2月
志望していた
慶應大に受かります、

「やったー、!東京行けるよ!」

大学より東京に行ける事が嬉しかった笑

3年間で貯めていた200万は
すっからかんになりましたが
これでよかったんだと思います。

ぼくの人生のターニングポイントになった上京

スポーツではなく
大学生として
ぼくは上京する事になります。

入学金は自分で払い
いずれは親の仕事の手伝いをする条件で学費は父から出して貰いました。

大学生1年生~2年生としてのぼく

大学に入り
「大都会だ~!東京だ~!」
となるかと思えば
キャンパスは横浜~神奈川界隈にあり
地元から近い福岡市とさほど
変わりありません。

大学には
何となく通い、
何となく単位を取り
何となく塾講師や派遣バイトをする
そんな日々でした。

このままではいけないと
大学2年の夏辺りから
環境を変えようと
違うキャンパスの授業を取り
都内の塾講師のアルバイトを始め
都内に住む事になります。

いわゆる本当の”東京”です。

渋谷、目黒、六本木などに
自転車で行ける環境になりました。

付き合う友達も変わり
様々な刺激を受けました。

ようやく
ぼくは
待ち望んだ東京にたどり着いたのです。

大学3年生になる前に気づく違和感

上に
「ぼくの人生が大きく変わったターニングポイント」
と書きましたが
ここからが本当のターニングポイントです。

この時期のぼくに
一番影響を与えてくれたのは
都内での塾講師のバイト仲間です。

彼らのほとんどは
いわゆる地方からではなく
東京生まれ東京育ちで
東大や慶應に入っているんです。

ぼくとは違う価値観を持っていている彼らは
今までぼくが持ち合わせていなかった知識や
違う角度から物事を見ていました。

それらは
自分の内面に新たな刺激を与えてくれました。

だが良い事ばかりではないんですね、。

その一方で残酷な現実を
ぼくは見せつけられました。

それはどんなに頑張っても
“ぼくは東京人にはなれない”
という事。

言っても仕方がない事だが
都会は田舎生まれとは違う。

ノウハウや優れた指導者、
良い環境が整っている。

両親共に大卒は当たり前。

ここだけの話
ぼくの母は高卒だが、
大学の周りに母親が高卒の人は1人もいなかった。

就活もそう。

都会育ちの彼らは
そつなく就活をこなして
女の子と遊ぶ一方

地方から上京してる大学生は
就活で苦労して
消耗しきっている事は
目に見えて明らかだった。

もっと踏み込んだ言い方をしたら東京生まれの彼らは
大企業にコネがある人が沢山いるのだ。

地方からの学生が
勝てる確率は
圧倒的に低い。

これを見る限り

親が望んでいた
「いい大学に入り
いい会社に入って働く、
みたいな生き方は
幻想だな」

「これからは自分の頭でどう自分の人生を切り開くか
考え行動しないといけない」

東京に身を置く中で
そう気付きを得た事はぼくのなかで何よりの

人生のターニングポイントだった。

ここからのぼくは
いわゆる敷かれたレールでなく
様々なマネタイズ法を模索して
自分の人生について
考えるようになりました。

ぼくが最も大事にしてる価値観は

ぼくが大事にしてる価値観は
うえに書いた”積み重ね”です。

(そして”闘争心”)

まずゴールなり予定を先に作り
自分の立ち位置から
そこまで行くには何がいるのか、、。

必要な要素を洗い出し
ひたすら積み重ねる、、。

真面目な話ですが
これが信条です。

漠然と動いたらいけない。

無心に全力で行動する、。

ってか、何がが欲しいなら
一人で勝手に狂えばいいんですよ!

この価値観が一番好きです、

ぼくらは
他人に迷惑かけない範囲ならば
好き勝手してればいいと思っています

ぼくがブログを始めたきっかけ

「ぼくがブログを始めたきっかけは、
皆さんにぼくのブログを通して~」
、、なんて書きたいですが笑

このブログでは
一つの分野に対しての
ぼくの解釈やスキルなどを
書きたいと思っています。

真面目な話をすると
読書の方が興味がある話題を
検索してもらい
当ブログで一致する
記事があれば
その中でノウハウを提供出来れば良いと考えています。

以前、京都大学の教授の本に(僕は君たちに武器を配りたい)という本がありましたが
その様な形で
このブログが読書への
一助となれば幸いです。

ブログを通してどうなりたいか

ブログを通して売上をしっかり出したいと考えています笑

いきなりですが
ブログは使い方次第で
お金が発生する以上
やらない手はないでしょう笑

そしてこの記事内に経過をアップして行く事。

その手順や気づき、ノウハウを
書き連ねたいと考えています。

それでは
このブログをよろしくおねがいします