ルロイ修道士の指言葉ってどんな意味?どんなときに使ったの?

ルロイ修道士っていうのは国語の教科書にもでてくる井上ひさし氏の短編小説「握手」の登場人物。

ものがたりは仙台の天使園という児童養護施設(昔は孤児院といっていた)にいた「わたし」が、

カナダから来日してそこの園長をしていたルロイ修道士と久々に会ってむかし話をするって内容なんだよね。

じつはルロイ修道士はジュール(サルト)・ベランジェという実在の修道士をモデルにしていて、

作者の井上氏も高校卒業まで天使園の園児だった。だから「握手」は自身の回想をもとにした小説なんだね。

ここでは、ルロイ修道士がつかった指ことばについてくわしく話してみたいと思う。

天使園と作者

まず指ことばの話しの前に、小説「握手」の作者がどんな人なのか、ラ・サール・ホーム「天使園」って一体どうゆう施設なのかの説明をしておことおもうんだ。

天使園とは

天使園とはルロイ修道士のモデルであるカナダ人のブラザ ー・ジュール・ベランジェらの宣教師が建てた児童養護施設。

終戦後日本はようやく復興が始まったばかりで、食料と生活物資はほとんど無いころに、

親のいない子どもや、親が子どもを育てることができない事情の児童を預かり、

そんな子供たちをキリスト教をとおして、明るくすなおに親代わりとなって育てる施設なんだ。

ルロイ修道士はそこの園長をつとめ、いつも優しくほがらかにら、時にはきびしく、指言葉を使いながらユーモアのこころで子供たちを育てていったんだ。

小説「握手」の作者・井上ひさし

井上ひさし氏もこの「天使園」の園児だったんだ。

かれは父親の家に入れてもらえなかった私生児で、兄弟は3人いるんだけど母親ひとりでは3人は育てきれず、この園に預けられることになった。

入園のときのルロイ園長の握手は「万力よりも強く」、腕がしびれた。

だけどレストランで久しぶりに会ったルロイの握手は「昔は痛いほどだったが今は実に穏やか」。

全身ガンにおかされ死を覚悟していても、おだやかな心の、おだやかな握手。

小説のタイトル「握手」やしょっちゅう出てくる「指ことば」は意味シンだよね。

指言葉って?    手の絵文字

現代は外国の映画やドラマでよく外人が使うのでポピュラーになってきたけど、

むかしの日本には指で言葉の意味を表現するなんていう風習はまったくなかったんだ。

当時の天使園の子供たちにとって、外国人が指をつかって表現する手法は、新鮮でめずらしく、とってもおもしろかったんだね。

だからみんなマネをして楽しんだんだ

親指を上にむけピン!

この指言葉は最近の日本人もよく使うようになった「GOOD !  OK」の意味だよね。

反対に親指を下にさげて、「NO GOOD」、「最低!最悪、却下」なんかの意味にもつかう。

指言葉もいろいろと応用して、表現のいみが広がっているんだ。

右の人さし指をピンと立てる

これもルロイ修道士が「よく聞きなさい」とか「こっちに注目しなさい」というときによく使うくせだった。

今の日本人でも人さし指をピンと立てて「いいですか」と言いながら注目を集めるひとが増えてきている。

このように指言葉もだいぶ日本の中にも浸透してきたようにも

右の人さし指に中指をからめてつき掲げる

これは「幸運を祈る」 「しっかりおやり」って意味なんだが、あまり日本ではやる人がいない。

外国映画とかではよく見るんだけど、どうしてなんだろう?

これは独断と偏見なんだけど、仏教で印を唱えるとき、忍者が術をかけるときに両手のゆびをからませ印を切るんだ。

そのイメージが日本人には「幸運を祈る」意味と結びつかないんじゃないかなあ〜。

どうしてもその動作が術をかける、印を切るように感じて指をからめることを躊躇(ちゅうちょ)するようにおもえるんだ。

両手の人さし指を、せわしく交差させ打ちつける

無断で天使園を抜け出して東京へ行って、有楽町や浅草で映画や実演を見て回り、夜行列車で仙台に帰った。

そして待っていたのがルロイ修道士の平手打ちだった。

のちの再会での昔話の中で、「東京見物の費用は、どうやってひねり出したんです。」とルロイ修道士にきかれて

「先生からいただいた靴下だの、つなぎの下着だのを着ないでとっておき、駅前の闇市で売り払いました。

鶏舎から鶏を五、六羽持ち出して、焼き鳥屋に売ったりもしました。」とこたえると、

ルロイ修道士は両手のひとさし指を交差させ、せわしく打ちつける。ただし平手打ちを食らわしたあのころと違って、顔は笑っていた。

この指言葉は「それはいけない NO」の意味なんだけど、それだけじゃないもっと深いものがあるとおもう。

「ダメ!ざんねん、イラつく、せつない、・・・」言葉では表しきれない感情をゆびで表現しているように思えるんだ。

まとめ

ルロイ修道士が亡くなって、葬式で身体中が悪い腫瘍の巣になっていたことを聞いた私が知らぬ間に両手の人さし指を交差させ、せわしく打ちつけていた。

この指の動作こそが、作者が言葉では表現しきれない、無念さ、くやしさ、せつなさ、すべての感情を指言葉におきかえた、指言葉が本当に伝えたい意味なんだと思うんだ。

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