織田信長について 子供にもわかりやすく 話しをするよ!

織田信長(おだ・のぶなが)ってなまえは学校の歴史でならって知ってるとおもうんだ。

でも学校の歴史ってあんまり面白くないよね。どうしてってテストがあるからさ、テストのためにおぼえなきゃなんないからさ。

良い点数をとればほめられるけど、悪い点数だとおこられちゃう。

ここではテストがないから安心していいんだよ。

ちょっと面白いかもって思うとこだけ、あたまの中にちょっとだけレポート(セーブ)すればいいんだ。

それじゃ織田信長(おだ・のぶなが)について話しをはじめるよ。

1.h2.戦国時代(せんごくじだい)

                                諏訪原寛幸

いまからざっと500年まえの日本は、全国をまとめるトップの将軍(しょうぐん)がいなくんっちゃったんだ。

そこでいまがチャンスと各地の大名や武将(ぶしょう)がトップの座を取ってやろうとそれぞれが戦いをはじめた、それを戦国時代っていうんだ。

つまり日本中のあちこちで戦争をしている、グチャグチャでハチャメチャな時代。

そんななかで尾張の国(いまの愛知県)から、まわりの敵をつぎつぎとたおして、あともう一歩で天下統一(トップの座)ってとこで、

家臣(かしん=じぶんの家来)の明智光秀(あけちみつひで)のうらぎりで命を落としたのが織田信長なんだ。

その戦いのつよさ、あっといわせる作戦、破天荒(はてんこう=今までだれもしなかったような事をする)な生き方やエピソードで、

ドラマになったり多くのひとを感動させる戦国時代の英雄(えいゆう)なんだよ。

信長(のぶなが)の子どもの時代

信長がおさないころ、庭であそんでいると小ちゃなヘビがでてきたんだ。

そこでそのヘビを捕まえて、そばにいた家来に「これって勇気あること?」って聞いたんだ。

家来が「小ちゃなヘビなんだから怖がることはないよ」ってこたえると、

ムカッと来た信長は「ヘビの毒は大小できまるんじゃない」〜たしかに小さくても毒をもったヘビはたくさんいる。

つづけて「小さいから怖がらないなら、もし主君が子どもなら、おまえたちはあなどる(=軽くみる)のか!」って言い返したんだ。

これは信長が子どもで小さいから軽くみるのかって怒ったようにもとれるけど、そうじゃないんだ。

この戦乱のよを生きてゆくには、敵の大小で力をはかっちゃダメ。敵の国が小さいとか、兵士の数が少ないからといってバカにしちゃいけない。

小さくても毒を持っていることがあるから気をつけなきゃダメなんだっていってるんだ。

やっぱり信長は子どものころから大物になる素質があったんだね。

若いころの信長

若いころの信長は、きものの袖(そで)を切ったユニークな服装で、仲間とつるんで、山や野を走りまわったり、

町の中をうろついていたずらしたり、とにかく君主のあととりには思えないメチャクチャな行動をしてたんだ。

そのため尾張の大うつけ(=悪ガキ・ガキ大将)ってよばれてバカにされていたんだ。

それは敵を油断させるためっていう人もいたけど、それだけじゃない信長なりのアイディアや考えがあったように思うんだ。

大うつけ(=悪ガキ)は準備運動

きものの袖って手首のところが広くてヒラヒラしてる、作業をするときにじゃまになるから腕まくりをする、

だったら最初っから無くしちまえばいいやってのが信長のアイデア。

忍者の服装を想像してごらん、そではみじかく腕のところにはフィットした下着をつけているよね。

すばやく動かなければならない忍者、信長のファッションも動きやすさのためなんだ。

行動性のアイデアだけど、ふつうじゃ思いつかないユニークな服装が、変わり者のイメージをつけちゃったんだ。

また「仲間とつるむ」ってこともワルがきのグループ・ガキ大将におもわれたんだ。

でも信長には戦いはひとりじゃできない、信頼できる部下や仲間がひつようだってことが分かっていたんだ。

また大将は先頭にたって、ともに戦わなきゃ仲間がついてこないこともしっていたんだ。

つまり「大うつけ(悪ガキ)」は大将になるための準備運動だったてわけさ。

信長の戦略・奇策

家督(=父のあとをついで君主になること)をついだ信長は、はやばやと尾張(愛知県)全部を治めるまでにのしあがったんだ。

まわりの敵国からは生意気なやつって思われたんだろうね。

そしてついに、となりの国の強敵、今川軍が調子にのってる信長を今のうちにつぶさなきゃって攻めてきたんだ。

これは信長にとって最大のピンチ、だって今川義元(いまがわよしもと)ひきいる軍勢は2万5千。

信長軍はどんなに兵をかきあつめてもたったの5千しかいない、どうみたって不利。そこで信長は考えたすえに

城を守って戦ったら絶対まける、外にでてむかえうつしか勝機はないって戦ったのが、

歴史の教科書にも出てくる有名な桶狭間(おけはざま)の戦いなんだ。

桶狭間(おけはざま)の戦いの勝因

それじゃあ最大のピンチの桶狭間の戦いにどうやって勝ったんだろう。

じっと情報をあつめ頃合いをうかがっていた信長は、

今川軍が5千の今川義元(総大将)の本隊と2万の兵が、別行動しているのを知ってシメタとおもったんだ。

そして本隊の居場所がわかったとき、これぞ絶好のチャンスと夜中にはねおきて、

いそいで兵をあつめ、たった2千の軍勢で今川義元の本隊5千に奇襲をかけたんだ。

このとき幸運にも大雨が降っていたんだ。まさか大雨の中を進軍するなんて誰もかんがえない。

これは今川にとってもおなじ、まさかこんな大雨の中を攻めてくるなんておもわなかったんだね。

だから大あわての今川軍は戦うどころじゃなくサンザンバラバラ。ついに今川義元(総大将)の首をはねて勝利したんだ。

信長のチャンスをのがさない、直感とすばやい行動と、天(雨)を味方につける強運はまさに天才だね。

もうひとつ「農民おもてなし作戦」ってのがあって、

信長のスパイが農民に変装して、今川の2万の別働隊に酒や餅(もち)をふるまって足止めしたってはなしがあるけど、どうもあやしいかなこれ。

情報作戦

じつは信長は少ない軍勢で大軍をたおすために情報をうまくつかっていたんだ。

現代ではサイバー攻撃とか、メディアやネットでフェイクニュースを流して相手を混乱させるって作戦は使われるんだけど、戦国時代にはそんなものないよね。

そこで信長は100人の兵で3千人を皆殺しにしたとか、2千の兵で3万4万の大軍をけちらしたとか、

戦果をすこし大げさにもったファイクニュース手紙にして、

とくに情報を敵にもらしやすい大名や武将にばらまいて、戦うまえに敵をびびらせたんだ。

びびった兵士ほどよわいものはないからね。この時代に心理戦、情報戦が勝ち負けにおおきくエイキョウするってかんがえたのはスゴイね。

こうしてどんどん勝ち進んで、天下のトップにあと一歩までになった戦国の奇才・名将が織田信長なんだ。

まとめ〜最期にひとこと

このほかにも信長は強いだけじゃなく女に優しい人だったとか、

奇想天外(きそうてんがい)なエピソードもたくさんあるけど、それはつぎの機会にまた。

ところでなんか面白いとこはあったかな?歴史ってちょっと深くほってみると、意外なことっていっぱいあるんだ。

でもその史実(=歴史の真実)も見かたによって、まるで真ぎゃくにもなることがあるんだよ。

だって何百年もまえの、ほんとのことをいったい誰がしっているっていうの?だから歴史に正解はないんだよ。

歴史のテストに答えはほんとはないんだ。君たち自身の歴史だけがほんとうの答えなんだよ!

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