織田信長の有名な名言やエピソード〜 その意味をわかりやすく解説するよ!

戦国の異端児(いたんじ)、天下統一まであともう一歩のところで命を落とした名将・織田信長。

有名な名言やエピソードのなかにある、戦国の世から、現代の世への、心にひびくメッセージや奥深い意味を独断と偏見をまじえて解説してみようとおもうんだ。

生い立ちのエピソード

当時の武将の子は産んだ母親ではなく、乳母や養育係が育てるのが通例だった。

現代でも天皇家は最近まで養育係が子育てをしてたんだよ。

そのしきたりを初めて破ったのはつい最近のこと、平成天皇の皇后、美智子さまなんだよ。ちょっとはなしがそれちゃったね。

織田信長は尾張の国(いまの愛知県)の主、織田信秀(おだのぶひで)の嫡男(かとくを継ぐ長男)として生まれ、幼名を吉法師(きっぽうし)っていうんだ。

その吉法師(きっぽうし)も生まれるとすぐご多分にもれず乳母のもとで養育されることになった。

ところがものすごく疳(かん)の強い子で乳母の乳首をかみ破っちゃうんだって。それで何人もの乳母が交替したと伝わっているんだ。

生まれながらにして気性が激しかったのか、それとも産んだ母親とちがう乳を与えられたことへの反発なのかもしれないね。

そのくらい乳児のころから感がするどかったのかも。

ところが池田恒利(つねとし)の妻(養徳院ようとくいん)が乳母になったとたん、不思議なことにその乳首だけはかみ破らなかったっていうんだ。

きっと産みの母と似たやすらぎを感じ取ったのかも知れないね。

「主君が子供ならあなどるのか?

幼少のころ庭先で遊んでいると小さなへびがでてきた。

吉法師(信長)がこれをつかんで近くにいた家来のものに「このようなことを勇というのか?」ときくと、

「小蛇など恐れるに足らぬものです」と家来がこたえたんだ。

すると吉法師は「蛇の毒は大小によらぬ。小さいからと恐れぬのなら、もし主が幼少なら、うぬらはその主をあなどるのか?」と言い返したんだ。

これは吉法師(信長)は「小さいへびを手でつかまえるようなことを勇気のあることっていうの?」ってきいたんだね。

それにたいして家来が「小さなへびなんかは恐れる代物じゃありません」ってこたえたんだ。

これにムカッと来た吉法師は「へびの毒はその大小ではわからない、小さいからといってバカにするのは、主君が子どもだからとバカにするのと同じじゃないか!」っていいかえしたんだ。

つまり人の価値は幼いとか年を重ねたとかで計れるものじゃない、幼いからといって軽視すると、大きなものを見損なうよっていっているんだ。

この吉法師のエピソードは将来の大物の片鱗(へんりん)を感じさせる名言だね。

武将信長の名言

父・信秀の死後、織田の家督をついだ信長は、その才能と斬新な戦略でつぎつぎと強敵をなぎ倒していった。

そんな戦乱の中の信長のエピソードや名言をいくつかあげてみよう。

「臆病者の目には、敵は常に大軍に見える」

臆病者の目とは、おびえた気持ちで敵を見れば、少人数の敵でも大軍に見えてしまう。

臆病者の目になった時点で、すでに戦の勝負は決まってしまうって言ってるんだ。

これはおびえずに勇気をもって目のまえの敵をよ〜く見ろ、そうすれば敵は大軍じゃないことがわかるから、

と戦う兵士たちの士気を高めようとした言葉。

また信長はこの心理を逆手に取って、

信長軍は前の戦いで2万3万(実際には5千でも)の敵を虐殺したっていう誇張したうわさを先きに流し、

敵を臆病者の目にしてしまう戦略で勝ち抜いたんだ。

この名言は現在の社会でも同じことがいえるんだ。

たとえばアスリートがよく「敵は己の中にある」っていうよね。この己の中の敵とは臆病者の目とおなじ、プレッシャーにまけてはダメだってことだよね。

会社の仕事でも同じ、しっぱいをおそれる臆病者の目になっちゃダメ、目のまえの仕事が大軍に見えてしまうってことなんだ。

「人城を頼らば城人を捨せん」

このことばをそのまま解釈すれば「人が城を頼ったとき、落城する」といった意味。

さらにかみくだけば、城が人を守るのではなく、人が城を守る、

つまり城をまもろうとして戦うとき、この城は2重3重に堀や、要塞を築いてあるからそうカンタンには落ちない。などと城の堅固さに頼ったらまけちゃうってこと。

まもって勝利するのは、そのなかで戦う人の力次第だっていってるんだ。

いまの社会におきかえてみるよ。

大企業といわれる会社は、創業者と社員とがいっしょうけんめい努力してすぐれた商品や企画を開発してきたから大企業という城を築けたんだ。

ところが大企業という名前にあぐらをかいて開発や企業努力をおこたればつぶれてしまう。

つまり大企業という城にたよって、働く人の努力が薄れてしまえば守れずに落城してしまうってことなんだ。

またよくあるパターンだけど、自分の実績を大企業という城にまもられて出来たことなのに、自分の力と勘違いしている人がいる。

そんなひとが自分の力を試そうと会社を辞め独立したけど、ちっとも成果が上がらずポシャってしまうパターン。

これもじぶんでは気づかずに城を勘違いして頼って落城してしまったんだね。

主君信長の名言

天下をとろうと野望をもち戦い続ける織田信長。

ひとのうえにたつ者の持つべき資質やその信念を語った名言があるんだ。そのいくつかをこれから紹介しようとおもう。

「人を用ふるの者は、能否を択ぶべし、何ぞ新故を論ぜん」

まずは分けて訳してみよう。「人を用ふるの者は」とは単純に訳せば「うえにたって人を使う者は」って意味だけど、

もっとその言葉をふかく解釈してみると、人を使ってなにかをさせようとするとき、人選をして命令をだす者が心得ることはってこと。

「能否を択ぶべし、何ぞ新故を論ぜん」とは、能力があるか無いかで人選をしなさい、長くつとめているかどうかで選ぶのは論外だっていっているんだ。

現代の社会でもありがちなことだね。先輩だから、年長だから、会社に長くつとめているから、そんな理由で人選すれば失敗する。

仕事やプロジェクトの本来の目的は成果を出すこと、つまりその仕事に適した人材を選べってことなんだ。

またその人物を正しく評価する目を持ちなさいっていっているんだよ。

「生まれながらに才能ある者はそれに自惚れ、怠惰する」

これは訳すまでもなく分かるとおもうんだ。

生まれつきの才能がある人はそれにうぬぼれて、努力することをおこったてしまう。

生まれつきの才能がない人は、何とか技術を身につけようと日々努力する。さいごに勝つのは後者だっていってるんだね。

近年よく言われることに、天才や一流アスリートと呼ばれる人は、生まれつき才能があったわけじゃない。

並の人以上に努力に努力を重ねた結果で、むしろ努力する才能があるものが天才や一流といわれるひとたちなんだってね。

戦国のその時代に、この真理をさとった信長はやっぱスゴイね。

4.h2.信長の名言(歌と舞)〜人生観

                    長野 剛 : 織田信長

日々戦いにあけくれ、いつも死ととなりあわせにいた戦国の武将。

そんな信長が人間としての心をあらわすことば、人生観を、好んだ歌や舞のなかにさぐってみよう。

「死のうは一定。しのび草には何をしよぞ。一定語りおこすよの。」

これは信長の好きな小唄として有名なんだ。

その意味は「死はだれにでも訪れる。死後に(自分が)語り継がれる為には何をしておこうか。きっとそれを頼りに人々は語り継いでくれるだろう。」

では信長はなぜこの小唄がすきだったんだろう。

自分が死んだあとに語り継がれてほしかったから?いやそうじゃないとおもうんだ。

だって戦に出ていつ殺されるかわからないんだ、後世に語りつがれるような功績を残せるかどうかなんて分かりゃしないんだよ。

きっとそれは唄の出だしの「死のうは一定」、その一句に信長をひきつけた大半があるような気がするんだ。

ひとは誰でもが死ぬ、でもじぶんの死は明日かも知れない、いつ殺されても不思議じゃないじぶんの命。

だからこそ今しかない自分のいのち、死の覚悟と人生のはかなさをこの出だしの一句に感じて、信長のこころに響くんだ

「人間五十年 化天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか。」

この舞は、幸若舞(こうわかまい)という能に似た演目のひとつ「敦盛(あつもり)」の一節。

「人間五十年 化天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり。」の意味は、

人の世の50年の生涯ってのは、天の世界の時間に比べりゃほんの1日。まったくはかない夢みたいなものだよ。

「一度生を得て滅せぬ者のあるべきか。」は、いちどこの世に生まれてきたもので死なないものはないんだって意味。

ちょっと「下天」について説明すると、天界の一番したの界で1日が人間界の50年にあたって、その界の住人の定命は8000才なんだって。

それから比べれば人間の一生なんてほんの一瞬だっていってるんだ。

現代の考古学で地球の年齢約46億年にくらべれば、人類の歴史はほんの2秒くらいって言うのとおんなじだね。

でも戦国時代にそんな考えがあったなんておどろき。この敦盛(あつもり)」の舞を信長は好んで舞ったんだ。

また桶狭間の戦い(今川勢2万5千に対し織田軍3千で戦った必死の戦い)の出撃の直前にも舞ったという話が有名。

死を覚悟して戦いにのぞむ信長、死の恐怖をおさえながら、なお戦わなきゃならない想像をぜっするする緊張。

そんななかで舞う「敦盛(あつもり)」5.h2.信長最後の名言「是非に

が信長になにをあたえたんでしょう?なにを得ようとして舞ったんだろう?

及ばず」信長最後の名言

「是非に及ばず」

「是非に及ばず」を直訳すれば、良いとか悪いとか言うんじゃない、言ったてしょうがない、やむを得ないことなんだって意味。

これは本能寺の変で、信長がだれの謀反(むほん)なのかをきいたとき、森蘭丸が「明智の軍勢と見受けます」と答を聞いたときに放った一言なんだ。

自分はもうこれで最後(死ぬ)だとおもったときのことばなんだよ。

家臣にうらぎられたんだよ、ふつうこんなでいられないだろ。あのやろうよくもやりやがってとか、天下統一まであと一歩なんだよ。

じぶんはこれで死んじゃうんだよ、くやしいのが当たりまえだよね。

でもなんで「良いとか悪いとか言うんじゃない、しかたのないこと」なんて平常心で言えるんだろう。

これは何時どんなときも、つねに死を覚悟していた信長・人間そのものの言葉だとおもうんだ。

まとめ

波乱にとんだ人生をあゆんできた織田信長。

気まぐれで破天荒、ユニークで斬新な戦術、残忍と優しさの同居する武将、強靭な戦国の名将など、さまざまに伝えられている信長。

でもぼくには戦乱の天才武将というより、ブッタやイエスキリストのように、悟りに最も近づいた武将だとおもうんだ。

これまではなした名言はほんの一部でまだまだあるよ。もし信長に興味をもったら、もっと調べてみると面白いかもね。ではおしまい

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です