豊臣秀吉について詳しくまとめてたよキッズでも簡単にこれだけ見たらok!

農民から関白(かんぱく=武将のトップ)まで日本の歴史でいちばん出世した人が豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし)なんだ。

いまの会社でいえば、平社員にもなれないアルバイトから社長になるようなもの。

じゃどうやって出世したしたんだろう、そんな出世物語やエピソードをみんな話しちゃうよ。

生い立ち

秀吉(ひでよし)が小さいころの名は藤吉郎(とうきちろう)で、あだ名は「小ザル」。

顔がサルににてたのもあるけど、そのころから動きがチョコマカとすばしこかったんだね。

生まれた家はまずしい農家で、お父さんは早くに亡くなり、お母さんは別なひとと再婚(さいこん)しちゃった。

あまりめぐまれた家庭じゃなかったんだ。行商(ぎょうしょう=歩きながらものを売る仕事)のアルバイトをして暮らしていたけど、

どうしてもサムライになりたくて、ついに家出をしちゃったんだ。

はじめての奉公(つとめ仕事)

じつは、はじめての奉公は信長(のぶなが)じゃなく、17才のころに松下家という武家につとめたのが最初なんだ。

学校にも行ったことがない藤吉郎は、ここではじめて字を書くことや学問をまなんだんだ。

そのころ松下家の蔵(くら)でよくものが無くなる事件がおき、ためしに藤吉郎が番をすることになったんだ。

そこで藤吉郎はイヌといっしょに番をすると、それからはものが無くなる事がなくなったってエピソードがある。

アイデアや頭の切れがよかったんだね。

でもチョット優秀だと、ナマイキなやつと同僚たちにねたまれて、松下氏もしかたなく藤吉郎を追い出したんだ。h3.運命の出会い

つぎに秀吉は織田信長(おだ・のぶなが)に仕えることになった。これが人生(出世)最大の出会いなんだ。

信長(のぶなが)は気まぐれでわがまま、でもあたまの回転のよさ、ユニークな発想(はっそう)は「半端ないって」。

秀吉もアイデアやユニークさでは信長にひけをとらない、天才が天才をみとめあう運命の出会いだったんだ。

秀吉が信長のゲタをふところであっためて認められたって話しは、今さらいうまでもないエピソード。

信長のスキルでひとを選ぶ、常識や偏見(へんけん)にとらわれない性格が、秀吉にはおおいに味方して、出世街道まっしぐらってことになったんだ。

このころには名前も木下藤吉郎(きのした・とうきちろう)になって、あだなも小ザルから「サル」に昇格(しょうかく)したんだよ。

もうひとつの出会い

木下藤吉郎(秀吉)の有名なエピソードに墨俣(すのまた)の一夜城(いちやじょう)がある。

一日で城を作ったってのは大げさだけど、そのくらいビックリするスピードで完成させたってことなんだ。

城をつくるには大工(だいく)や土木工事、材料をはこぶなどたくさんの人の力が必要だよね。

信長の家来(けらい)だけじゃたりないんだ。

ところが藤吉郎は、蜂須賀小六(はちすかころく)が親玉(おやだま)の2000人の野武士を味方につけちゃったんだ。

2000人の兵力っていえば数万石の大名とおなじくらいの戦力なんだよ。

まだ無名だった藤吉郎に蜂須賀小六が協力したのは、ひとを引きつける人望(じんぼう)と、ひとをうまく動かす才能があったんだね。

また川を利用して材料をはこぶアイデア(陸をはこぶ何倍ものスピード)で、

ふつう2〜3年かかるところを、あっというまの短期間で城をつくっちゃたんだ、スゴイよね。

本能寺(ほんのうじ)の変

 

秀吉の活躍(かつやく)もあって、主君の信長(のぶなが)はまわりの敵をつぎつぎと倒し、

天下統一(てんかとういつ)まであと一歩までせまっていた。

秀吉は木下藤吉郎から羽柴秀吉(はしば・ひでよし)となまえをもらい大将にまで出世していたんだ。

そして天下統一の西の強敵、中国地方の毛利(もうり)氏をたおすために秀吉は戦いにでていた。

そのとき京都の本能寺(ほんのうじ)にいた信長が、家来の明智光秀(あけちみつひで)の謀反(むほん)でたおされちゃった。

これが歴史の教科書なんかによくでてくる「本能寺の変」なんだ。

かたき打ちのスピード(半端ないって)

本能寺で信長が死んだ知らせを聞いた秀吉は、いそいで毛利軍をやっつけ、

兵をまとめて岡山から京都まで引き返し、たったの11日で主君のかたき明智光秀をやっつけちゃたんだ。

毛利軍をやっつけた早ワザもすごいけど、

新幹線(しんかんせん)のない時代に岡山から京都までいって、さらに明智軍をたおしたスピードはとんでもない早ワザなんだ。

その時代に兵士は歩くか走るしかないんだよ。馬にのれるのはえらいひとだけ、馬は何時間もはしったら死んじゃうよ。

しかも重たい刀や鎧(よろい)をつけてるんだぜ。

何百キロも走れば兵はみんな疲れきっちゃう、それからまた戦うなんて!これを統率(とうそつ=まとめあげる)した秀吉のスキルは「半端ないって」。

天下統一

主君のかたきをうった手柄(てがら)で、秀吉は織田家のトップの武将としてみとめられ、

総大将として東の最後の強敵・北条氏(ほうじょうし)もたおし、ついに天下統一をはたしたんだ。

そして朝廷(ちょうてい)から豊臣の姓をもらい、日本の武士のトップの位・関白(かんぱく)太政大臣(だじょうだいじん)となったんだ。

名実ともに天下人(てんかびと)になり、はじめて豊臣秀吉と名乗ったんだ。

名無しのゴンベイ

いまのみんなは生まれたときから名字(姓)と名前があるよね。

でも昔は名家の生まれじゃない身分のひくい家では「ゴンベイ」のような名しかなく名字(姓)はないんだ。

功績(こうせき=手柄)をみとめられなければ名前はもらえないんだ。

「名無しのゴンベイ」とは手柄もあげられないで、名字(姓)がもらえない無能って意味なんだ。

秀吉のばあいは、サル→藤吉郎→木下藤吉郎→秀吉→羽柴秀吉→豊臣秀吉と名や姓をつぎつぎともらった、

つまり手柄をみとめられ、どんどん出世したってあかしなんだよ。

まとめ〜天下統一はタナボタ?

豊臣秀吉が天下統一できたのは信長からのタナボタじゃない?っていう人もいるよ。

でもチャンスをものにするってのはそうカンタンなことじゃないんだよ。

ここがチャンスだって見ぬく能力と、たくわえた実力がなけりゃできないんだ。

信長のズバ抜けたスキルを見ぬいてついていった秀吉。そして信長の意志をうけてチャンスを見のがさず天下統一を果たした秀吉。

これって天才が天才へのみごとなバトンタッチじゃないのかな

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