ロンメル元帥「将軍」の生涯とは?名言や死因まで辿る

ロンメル元帥「将軍」とは第一次世界大戦、第二次世界大戦と2つの戦争をとおして活躍したドイツの軍人。

第二次世界大戦はみなさんも知っているように、

ヨーロッパ・アフリカ地域ではドイツ・イタリヤ同盟軍がイギリスやフランスの欧州連合軍とたたかい、

東南アジア・太平洋では日本とアメリカがたたかった世界規模の戦争だよね。

ロンメル将軍はヒトラー提督ひきいるナチスドイツ軍のもと、功績をみとめられ軍の最高の位の「元帥」にまでのぼりつめた優秀な軍人なんだ。

ここではその奇抜な戦略・エピソード・名言をたどって、人間エルヴィン・ロンメルを浮き彫りにしてみたいとおもうんだ。

生い立ち〜軍人への道

エルヴィン・ロンメルは1891年にドイツの南部、ウルム郊外に生まれる。

父も祖父も数学の先生をしている家系で、およそ軍とは関係のない中産階級のうまれ。

そして若い頃のロンメルは、飛行機にものすごく熱中し、航空隊に入隊したいとおもうようになった。

でも父親に反対されしぶしぶ陸軍にはいることなったんだ。

そのころの飛行機は複葉機が主流で、スピードもおそく、すぐ落っこちる不安定なものだったから父が反対するのも無理ないのかもね。

しかしその頃に、点と線の地上でたたかうそれまでの平面的な戦術に、空からの3次元の攻撃がくわわれば、戦争のかたちが一変すると予測したロンメルの先見はスゴイ。

また飛行機はこれからぜったい進化すると信じていたんだね。

まさにその予測どおりに第二次大戦の後半に航空力、制空権をにぎったものが勝利したんだ。

もしロンメルが航空隊にはいっていたなら、勝利の行方は変っていたかもしれないね。

第一次世界大戦のロンメル

第一次世界大戦では、まず歩兵部隊の士官として西部戦線に、次に山岳歩兵部隊を率いてルーマニア戦線、イタリア戦線についたんだ。

そこでロンメルは戦術家としての才能をメキメキとはっきしすることになる。

つぎつぎと戦果をあげ、級鉄十字章、最高位のプール・ル・メリット勲章を受章して中尉にまで昇進したんだ。

大戦がおわってもドイツ軍に残ったロンメルは、ドレスデン歩兵学校(1929年-1933年)、ポツダム歩兵学校(1935年-1938年)の教官をつとめた。

回想録「歩兵は攻撃する」

この本はロンメルが第一次大戦をふりかえり、その場の記録・考察を、彼のするどい視線で臨場感ある簡潔な文章で書いた回顧録。

そのなかには「戦場というのは準備と運という相反するふたつの要素が決定的に作用する」とか、

塹壕(ざんごう)の重要性や、フットワークの軽さや勇気の重要なども書かれていて、ドイツ国内で50万部をうりあげるベストセラーになったんだ。

その本を絶賛したひとりに、ドイツ帝国総統で絶大な権力をにぎっていたヒトラーがいたんだ。

これがロンメルを本格的に評価し、第二次大戦で重要な作戦をまかせ、元帥にまでひきあげるキッカケになったんだ。

しかしヒトラーに信頼され重宝されたロンメルだけど、

ロンメル自信はナチの人種差別(ユダヤ人虐待)や捕虜の扱い方などには反対で、さいごまでナチには入党しなかったんだ。

総督ヒトラーはぜったいで、だれひとり逆らえなっかたのに、ひとり反発したのがロンメルなんだよ。

それがもとで最後にはヒトラーの反感をかい死に追い込まれてしまったんだ。

砂漠の狐(きつね)

狐(きつね)ってどうぶつは、ひとをダマすってたとえられるよね。

北アフリカの戦線で「砂漠の狐」とよばれて敵に恐れられたロンメル将軍。

まるで砂漠の中にキツネがいるような奇策で敵をほんろうしたんだ。

イギリスの首相チャーチルが「敵の指揮官ロンメルは、きわめて勇敢な、きわめて巧みな敵将だ。戦争という行為は別として偉大な人物だ。…悔しいが!」っておもわず言ったんだって。

敵からも尊敬されたんだね。物資不足の少い兵力で戦車隊をひきい、数倍の兵力のイギリス軍をげきはし続けたロンメル。

そんなキツネのエピソード(奇策)をこれから話してみよう。

リビア砂漠の戦い

リビアは地中海に面した北アフリカの地域で、それまでドイツの同盟国のイタリア軍が駐留していたんだけど、

圧倒的な戦力を持つイギリス軍がイタリア軍をけちらして占領してしまったんだ。

イタリアにたすけを求められたドイツ・ヒトラーは、ロンメル将軍にその指揮を命じたんだ。

戦車の数でも兵士の数でもイギリス軍にくらべものにならない少数のドイツ軍、ましてや補給のこんなんな砂漠のなかの過酷なたたかいだ。

そこでロンメルはイチカバチかの戦略を考えたんだ。

最前列だけ手持ちの少ない本物の戦車をならべ、うしろのほうは自動車に板をかぶせたニセものの戦車、

そしてニセ戦車にはホウキや鎖(くさり)をひきずらせて、砂煙りをたたせて、少数のドイツ軍を大戦車隊のようにおもわせたんだ。

これをみてパニックをおこしたイギリス軍は、2ヶ月かけてやっと手に入れたリビアの陣地を放棄して逃げちゃったんだ。

こうしてロンメル軍は戦わずに、あっというまにリビアを奪回したんだよ。

奇策の伏線

じつはイギリス軍がふるえあがって逃げたわけはもうひとつあるんだ。

ドイツ軍が事前に行なった軍事パレードをみたイギリスのスパイが「ロンメル部隊に大戦車隊あり」と本国に報告していたんだ。

スパイが見たパレードは、じつは同じ戦車が何度もグルグル会場をまわって行進していたんだ。つまりパレードそのものがロンメルの罠だったんだ。

イギリスのスパイはすっかり狐にダマされたってわけさ。この戦法は日本の戦国時代の名将・織田信長の作戦とよくにてるんだ。

信長はやはり戦の事前に、信長軍は3千の軍勢で何万人もの兵を虐殺したっていうウワサをまわりの敵国にばらまいたんだ。

そうやって少ない兵力で大軍の敵を打ち負かしてきたんだ。

もちろんロンメルが信長を知ってるはずはない。

名将といわれるひとは事前の準備、とくに情報の伏線が作戦の勝ち負けをさゆうすることを、天才的直感でわかっていたんだね。

英雄の証明(条件)

ロンメル将軍はまぎれもない英雄。でも英雄はひとりで成し遂げられるものじゃないんだ。

だってその戦果や功績を作ったのは、ともに戦った兵士たちなんだよ。

不安を抱かせない、ついていって損はない、そんなカリスマ性と自分たちのことを理解して、いたわってくれる人間性、信頼、それが兵士たちの士気を高める原動力。

つまり英雄とは士気を高める能力・人望のあるひとってことなんだ。

力や権力でひとを従わせるのは、いつか必ずヒトラーのように崩壊する(どこかの国のアメフトにもそんなのがあったような?)。

そんな英雄の証明を感じさせるロンメル将軍のエピソードや名言をこれからしょうかいしよう。

「司令官たるもの前線で指揮をとれ」

現代の会社でもありがちなこと。たとえば部長命令のプロジェクトで、あなたのいる課にその仕事がまわってきた。

ところが課長は「おまえたちで考えてやってみろ!」っていうだけで何の指示も出さない。

最初はじぶんたちに能力をつけさせるために、わざと指示を出さないんだとおもい、なかま同士で工夫しあって努力する。

良い結果がでたときには、課長はさもじぶんの功績のように部長に報告する。

しかし良い結果がでないときは「なにをやってるんだ!」と怒鳴るだけで次の指示もださない。

そりゃそうだよね、課長はじっさいにはなにもしてないんだから失敗の原因も問題点もわかるはずがない。

的確な判断ができないから指示がだせない、そのうちに部下はやるきをなくしてしまうんだ。

ところがロンメル将軍は戦争という命のかかった状況にいるんだよ。前線にたつとはまっさきに攻撃される場所だよ。

そんな危険なところにいて指揮をとる司令官をみれば、兵士たちはその勇気にふるいたち士気が上がるんだ。

またロンメルは「軍人にとって最も不安なのは、敗北の予感に見舞われる時」とも言っているんだ。

その予感を最もつよく兵士が感じるのは、司令官が弱っているとき。

だから指揮官は弱みをぜったい部下に見せてはならない、またその印象をあたえないよう努力しなきゃダメだっていっているんだ。

「死んだヒトラーは生きているヒトラー以上に危険だ」

これもロンメルが言った名言で、もっとも意味深いことばだとおもうんだ。

ヒトラーはみなさんがご存知のように、ナチスドイツの最強の指導者、ドイツ国民のすべてをそのカリスマ性で引きつけた人物。

でもロンメルは生きてる間より死んだヒトラーのほうが危険だっていうんだ、どういうこと?

もちろんロンメルのほうが先きに死んでいるから、ヒトラーが生きているうちにいった言葉だ。

ロンメルが言いたかったのは、いっぱん的に英雄とか偉大な人物とは、その死後に優秀な面がさらに誇張され神格化してしまうもの。

ヒトラーも死後にそのカリスマ性や強大さが誇張され英雄化される。

そのかげで彼がおこなった非人道的な行為(人種差別、捕虜の大虐殺)が、時間とともに忘れられてしまうのが最も怖いことだと言っているんだ。

つまりロンメルは力や権力でひとを動かすのではなく、みずからが兵士たちと共にたたかい勝利にみちびく者が真の英雄だといっているんだね。

ロンメルの最期

ノルマンディーの戦況で、いよいよ連合軍の総反撃(史上最大の作戦といわれる)が開始したとき、

すでに勝ち目はないと予測したロンメルは、無駄な戦死者をだしたくないとのおもいでヒトラーに撤退を進言したんだ。

するとヒトラーは「勝利か死か。それ以外に道はない」

それにたいしてロンメルは「総統は犯罪者だ。祖国が壊滅するまで戦うつもりか」といい放ち、独断でドイツ軍を退却させてしまったんだ。

これに腹を立てたヒトラーは、戦争終結の報告にもどったロンメルに「元帥、出て行きたまえ!」とどなって追い払ったっていうんだ。

そのごヒトラー暗殺未遂事件がおきた。運よくヒトラーの命は助かったが、その計画の首謀者や関与したものたちは次々と死刑になったんだ。

それから3ヶ月後、戦闘で負傷して自宅療養していたロンメルのところへ、

ヒトラーの使者が毒薬を持参して「あなたに総統暗殺未遂の疑いがかかりました。この毒を飲むなら家族の命は保証しましょう」と伝えにきたんだ。

もちろんロンメルは無実、でっちあげの嫌疑。

ヒトラーの性格をよく知っているロンメルは、ここで反発すれば家族だけじゃなく、もっと多くのひとに被害がおよぶとおもい、すなおに受け入れるんだ。

そして家族に別れを告げ、自宅の裏の林に入り、木々の間で毒をあおいで自殺したんだ。

まとめ

ロンメル元帥「将軍」は自国民だけじゃなく、敵からも愛され尊敬される英雄。

天才的な戦術や予測で戦果をあげるだけじゃなく、勇気をもって立ち向かい、さらに部下や兵士、家族を思いやるやさしさをあわせもった人間なんだ。

これが真の英雄の姿だとおもうんだ。さいごにロンメルの残した名言で終りにしたいとおもう。

「“なんだかんだ言っても軍人は軍人だ”、そんなことは百も承知している。ただ、僕はドイツを吹き荒れたあの狂気の中で、良心のかけらを見出したことが嬉しいのだ。」

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