ルイブライユはどんな人?歴史は?人生「一生」は?家族は?すべてまとめたよ!

ルイブライユってあまり聞きなれない名前だよね。でも一寸びっくりなんだけど「キッズ検索ランキング」人名部門で、毎年のように1位になってる人なんだって。

それは小学校4年生の国語の教科書にでてきて、ルイブライユについて調べてきなさいってよく宿題にだされるんだ。

だから検索ランキング1位になるんだね。ちびっ子にはよく知られているけど大人が知らないのはちょっとしゃくだよね。

そんなことでルイブライユの人物像について詳しく調べてみようと思うんだ。

どんなことをした人なの?

いまから約200年以上前、日本はまだ江戸時代、徳川第11代将軍家斉(いえなり)のころで、二宮尊徳(金次郎)が生きていた時代。

フランスで生まれ、目の見えない人が自分たちの文字を手に入れたといえる、6点点字を考案した人なんだ。

当時には目の見えない人にとって、簡単に読み書きできる文字はなかった。

本をよみたくても読んでもらわなきゃならない、手紙を書きたくてもかけない。そんな人にとっては画期的な発明だったんだ。

いまや彼の考案した点字は全世界に広まり、各国のことばにあわせて改良され、目が見えない人の生活を豊かにするきっかけになっているんだ。

点字のことを英語やフランス語ではブライユ(braille)っていうくらいなんだ。

ちょうど体操競技で「シライⅢ」とか「モリスエ」って技を考案した人のなまえがつけられているのは知ってるよね。

そのスケールをおおきくして、専門分野だけじゃなくいっぱん的につかわれる言葉になってるんだ。

名前がそのまま点字そのものの意味を表すなんてスゴイよね。

ルイブライユの生い立ち〜失明


ルイブライユは1809年にパリから40キロほどはなれた人口2700人のほど小さな田舎村で、4人兄弟(姉が2人、兄が1人)の末っ子として生まれ、かわいがられていたんだ。

父は馬具や革靴などを作るすぐれた腕前の職人で、家のなかにその仕事場があったんだ。

ところが3才のとき、きっと末っ子だからいたずら好きだったんだね、

親のいない留守に仕事場にはいって遊んでいるうち、父のつかっているキリで左目を突き刺してしまい失明してしまったんだ。

その後そのケガがもとで感染症になり、5才のときには右目も失いついに全盲(まったく目が見えない)になっちゃたんだ。

10才で親元をはなれ盲学校へ


当初は目のみえる人といっしょに村の学校に通っていて、成績も優秀だったんだけど、しょせん目がみえる人向けの教育なので限界がある。

勉強熱心だったルイにもっと教育を受けさせたいと思う親の愛情のおかげで、パリにある王立盲学校に入学することができたんだ。

このパリ王立盲学校というのは世界初の盲学校、この学校に出会えたってことはものすごくラッキーなことだよね。

しかし田舎村からパリまで通うには遠すぎるので、10才のおさないルイはたった一人で親元をはなれ、寄宿舎で寝泊まりをしながら盲学校に通うことになったんだ。

軍事暗号用の12点文字との出会い


この盲学校で教育につかわれていた文字は、学校の創設者バランタン・アユイが考案した線文字が使われていたんだ。

線文字は、アルファベットの形を浮き出させたものを指で読み取る方法なので、すらすら読むことはむずかしく、盲人が書くことなんてとってもできないしろものだったんだ。

ルイが12才のころ、シャルル・バルビエという人が、じぶんが開発した12点字が盲人の教育につかえないかとこの学校にもちこんできた。

これがルイブライユにとって点字というものに出会った最初なんだね。

この点字はもともと盲人用に開発されたものじゃなく、フランス軍が暗い場所で暗号をつたえる手段として開発されたもの。

それでもいままでの線文字にくらべればかなり分かりやすくなったけど、まだまだ種類がおおく複雑で、数字や音楽を表現できないという欠点があり不十分だったんだ。

ルイブライユが提案した3つの改良点


そこでルイはもっと使いやすい点字にできないかと思って、シャルル・バルビエにつぎの3つの提案をしたんだ。

①盲人でも書けるような文字にする。(12点字ではむずかしくて書くことができない)

②句読点、数字、楽譜も書けるようにする。

③12点式ではまだ複雑なので、もっとカンタンな6点式にする。

これは余談なんだけど、当時の目の見えない人は普通の教育を受けられることはまれで、道ばたで楽器を演奏するなど音楽で生活を送っている人が多かったんだ。

日本でもむかしは盲目の琵琶法師(びわほうし)などが道で弾がたりをしていたように、

いまでいえば路上ライブなんだけど、当時では生活のためにしかたなくやっていてカッコイイものじゃなかったと思う。

ちなみにルイも音楽の才能があり、ピアノはプロなみにうまかったようだよ。

しかし盲人には楽譜をよんだり書いたりすることはできなく、耳できくしかなかったんだ。

それでルイは点字で楽譜がかければ、どんなに助けになるかとおもったんだと思う。

しかし残念ながら、この3つの提案は聞き入れてもらえなかったんだ。

6点式点字の誕生


そこでこんどは自力で改良しようと学校の授業の合間のじかんに、クラスメートと議論しながら色々とためしながら研究をかさねたすえ、

ついに6つの点から構成される点字方式を考案したんだ。このときルイはまだ16才。

想像してみてごらん、16才っていえば今の日本では中学3年か高校1年生だよ。

その若さでつくりだしたなんて「おどろき、もものき、さんしょのき」だよ。こうして今や世界の140カ国以上で使われているブライユ点字が誕生したんだ。

盲学校卒業〜晩年


盲学校を卒業したルイブライユは教員として学校に残り、17才のときには年少の生徒に、数学・文法・地理を教え、

18才でフランス語文法の本を6点式点字に訳し、19才で点字の楽譜を考案し、音楽も教えるようになったんだ。

20才のときに『点を使ってことば、楽譜、簡単な歌を書く方法~盲人のために作られた盲人が使う本~』という本を出版。

28才のときに現在のようなかたちを完成させたと伝えられているんだ。

この点字はアルファベットはもちろん、数字、アクセント記号、音楽を表現できるから、

目の見えない人々にとって、文学活動をおこなう手段や、音楽を楽譜として書きとめる方法を手に入れたこととなり、

また目のみえる人とのコミュニケーションの手段もふくらみ、それまでの盲人の生活を豊かにする画期的な発明となったんだ。

そのご教員をつづけながら、晩年には音楽の才能を活かして、教会でオルガンも弾いていたんだ。

ざんねんながらあまり身体が丈夫でなかったルイブライユは、肺結核にかかり43才という若さでこの世を去ってしまった。

フランス政府がルイブライユの点字を公式に採用したのはその2年後。かれの生まれ育った家は、いまは点字博物館になっているんだって。

まとめ


ここまでルイブライユの人物と歴史をはなしてきました。

偉大な発明や功績をのこしたひとっていうのは、

ハンディーをのりこえようとする、おなじハンディーをかかえるひとを助けたい、と思うきもちから生まれるような気がするんだ。

もしあなたが何らかのハンディーを感じているなら、このはなしをバネにして人生を歩んでいくことを願って、おわりにしたいと思います。

画像引用
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A6

https://resemom.jp/article/2016/12/05/35307.html

 

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