ロンメルの戦術〜戦略って、ぶっちゃけどうなの??戦略〜戦術面から理解できる様に解説したい

ぼくのブログの、タイトル「我が闘争」にもある様に、筆者は人生は闘いだと考えている。

ただ、その中で、漠然と戦っても中々勝てない訳で、計画〜作戦を立てる必要がある。

そんな時に、孫子の兵法や、カエサルのガリア戦記など、昔の戦術論を読むのが、好きだった。

そんな中で行き着いたのが、ドイツ第三帝国の元帥ロンメル元帥です。

ロンメルは、不利な状態から、イギリスを脅かし、ナポレオン以来の戦術家と呼ばれた元帥です。

ぼくは圧倒的に不利な状況から戦線をひっくり返す話が好きです。ここにぼくは惹かれました。

なぜならそこから学べることがあるからです。勝って当たり前な喧嘩の話はつまらないですからね。

この類の話は魅力がある話だとは思いますが、いかんせん長くなりますので、何回かに分けて記事を書いて行きます。

今日の記事では、ロンメル将軍が、有能か否かを判断したいと思います。

ロンメル将軍とはどの様な人物か

ロンメルはどんな人物か?

実直な軍人。一時は総統護衛隊を指揮するほどヒトラーのお気に入りだった。

また第一次大戦の体験に基づいた著作「歩兵の攻撃」は今でもスイス陸軍の教本として採用されているほどの卓越した理論家でもあった。

第二次世界大戦勃発後

英仏開戦時、ヒトラーは虎の子の山岳歩兵師団を任せようとしたが、本人は戦車師団を希望し、

第七戦車師団を率いフランスにて電撃戦に参加。神出鬼没な動きで「幽霊師団」という異名を奉られた

アフリカ戦線

その後のアフリカ戦線での大活躍は言うまでもない。

圧倒的な不利な状況からイギリス軍を度々敗走させた。

ノルマンディ以後のカーンの戦いが戦歴の最後。カーン防衛には成功するが、その直前に負傷。

ロンメルの最後

ノルマンディー上陸後に、ヒトラー暗殺の疑惑を受け、退院後服毒自殺を強制された。ユダヤ人問題などナチスには批判的だった。

精悍なルックスに加え実績も十分な国民的英雄だったが、指揮官当時は融通の利かない実直さからヒトラー側近に疎まれた。

また兵站を軽視してリスクを取って攻め込むスタイルなど、自己顕示欲が強すぎるとみられて一部の将軍からの反感も買っていた。

今回はロンメル元帥の評価を、戦史好きのぼくが出してみたい。

ロンメル元帥の有能な箇所

ロンメル元帥の有能な個所としてはズバ抜けた直感力がありました。

直感力は「いかに、修羅場を潜ったかの場数」で磨かれます。第一次世界大戦での実戦経験を体験したロンメルの直感力は他の司令官よりもズバ抜けていました。

その直感力で、彼はドイツアフリカ軍団を不利な状況からひっくり返していきます

ロンメルのズバ抜けた直感力

上にも書いた様にロンメルの直感力は、圧倒的な場数に裏打ちされていました。

ロンメル自身、度々、自らの直感力で命の危機を脱しています。

例えば、自軍陣地に砲弾が弾着する寸前に移動したり、敵の罠を事前に察知したりしています。

ロンメルの直感力を支えたのは情報戦に勝ち、相手を上回るスピードで行動した、機動力でした。

ロンメルはアフリカ戦線初期において、スパイを使い、イギリス軍の配置(フォーメーション)を見抜いていました。

それに加え、敵を欺く巧妙な手段を弄しロンメルは自軍の戦力を、実際の数倍に見せて、イギリス軍を欺きます。

情報戦だけではありません。ロンメルは素早く戦車を使い、イギリス軍を脅かしました。

その移動速度〜距離などは今のブラック企業も真っ青なスピードでしょう。

ロンメル自身、自分にも他人にも厳しすぎる人物だったと聞きます。部下にも尋常じゃない機動力を求めました。

ロンメルから、学べる事は勝ちたいならば、インプット(情報戦)とアウトプット(素早い行動〜機動力)が必要であるという所です。

最前線に立つ事

ロンメルは部下と共に前線に赴き、自ら最前線に立って、戦術を柔軟に立てたました。

他の元帥達と違い、前線に出て指揮を執る姿は部活からも支持を集め、信頼も厚かったのです。

ロンメルが最前線に立った理由

目的は、一つでしょう。イギリス軍を倒す為のプランを作る為です。

正しいプランを作るには、最前線に立つ必要があります

・見たくない現実があれば直視すること
・最前線の闘いで何が勝ち負けの指標になるかを見極めないといけません。

柔軟な思考

ロンメル将軍の有能な箇所としては柔軟な思考力があると言える。

例えば、対空砲で使われたクルップ社の88mm高射砲を横に展開し、戦車に転用して用いました。

これは、後の有名なナチス無敵と呼ばれたポルシェ社のドイツ戦車のタイガー戦車に繋がります。

戦略〜戦術面について

ロンメルは、チャーチルからナポレオン以来の戦術家と呼ばれた様に戦術家としては、超一流でした。

しかし、戦略的には、兵站を無視したりイマイチの評価となっています。詳しく見ていきましょう。

ロンメルの戦術は超一流

ロンメルの戦術眼(スキル作戦)は超一流でした。

個々の戦術は非常に優秀。理由は上にも書いた様に、情報戦を制した上でのハードワークです。

ロンメルの偉大と言うか優れたところは戦況分析の確かさと兵科の割り振りがうまかったことです。

常に敵の裏をかくように、戦車部隊がせめてくるところには対戦車砲で迎えました。

敵の歩兵は戦車で蹴散らして敵の対戦車砲は歩兵で攻めます、

だから負けなかったのです。

それに加え将兵を叱咤鼓舞しながら戦う、義経的な戦術に優れている点もありました。

かのナポレオンも「リーダーの役割とは、部下に希望を与えること」だと述べています。

この点において、ロンメルは一流の戦術家でした。

戦略家としてのロンメルは大局観に欠けた

ロンメルは戦術に優れるが、その反面戦略が疎かになっていました。大局観というものに欠けるんですね。

戦術家としては有能だけど、戦略家としては、劣る訳です。

実際、アフリカ戦線は、サブ戦線でしたメインの戦線では決してないんですね。

ロンメル自体、最初はドイツ領のリビアで待機を命じられましたが、ロンメルの独断で軍隊を何百キロも動かしています。

イギリス軍との戦いでも徹底的に戦った為勝っても損害が大きかったと評されました。

実際の所、ロンメルが軍を動かさず、リビアでとどまって置けばメイン戦線のソ連軍との戦いの運命は変わっていた可能性は十分にあります。

勿論、その判断はヒットラーがすべきものでロンメルの責任ではないともいえます。

北アフリカの重要性への理解など戦局全体を見る目には乏しかったと言えます。ロンメルに戦略眼はあまりなかったと言える。

ロンメル将軍のアフリカ戦線のミスについて

そもそも、北アフリカを維持する必要性があるのかという点にある。

結論としてはなかったんですね。アフリカからは早く撤退して、違う方面に戦力を向けるべきでした。

アフリカ〜戦略面でのアナリシス

ゆえに消耗を避け、他の戦場に負担をかけないというのが戦略的には正しかったはずです。

ドイツのほかの将軍たちは阿吽の呼吸でこれを理解していたが、ロンメルは積極的攻勢に出て、物資を消耗してしまった。

これにより、ロンメルは他の将軍から毛嫌いされ、最後は暗殺容疑をかけられ殺されてしまったという。

まとめ

ロンメルは師団長としては極めて優秀、しかし、一方面の指揮を任せられるほどの将軍格であったかどうかというと微妙だった。

トップというのは戦略を練り、周りとの連携と調整役に徹するのが主な仕事になり、

前線で派手な戦果を挙げるのは佐官(少、中、大佐)の仕事です。ロンメルはいつまでもこれをやってしまった。

周りとの連携が出来ていなかったロンメルは元帥としては不適格であったと思います。

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