豊臣秀吉といえば農民(足軽)から関白・天下人までになった日本一の出世男。
成金(なりきん)趣味ともいわれているけど、ほんとはどんな性格してたんだろうね。
また英雄いろを好むってよくいわれるけど、秀吉も女好きだったのかな?いろんな伝説やエピソードからさぐってみようよ。
出世のエピソードから
秀吉が幼いころから天下人になるまで、出世にまつわる様々なエピソードが伝わっている。
そのなかには秀吉の性格をよくあらわす話しがいくつかあるんだ。まずはその辺からさぐってみよう。
出生から幼少期はナゾだらけ
秀吉のうまれた年や誕生日は、ビックリかも知れないけど、じつはよくわかってないんだ。
父親が誰なのかも不明だって説があるくらい。大名や名門の生まれじゃない、無名の農民の子に記録がないのは当たりまえっていえば当然。
だけど、偉大になった人は、じぶんの幼少期の記録を自伝などでふつう残すもんだけど、秀吉にはそんな記録がほとんどないのだ。
むしろ隠そうとして、しゃべりたくなかったのかも知れない。身分のひくい貧乏だった幼少期に、すごくコンプレックスをもっていたんだね。
でもコンプレックスがバネになって、バカにされたくない気持ち、
なにくそっていう反発心と出世欲、それに見栄っ張りな性格が見えかくれする気がするんだ。
あだな
秀吉のあだなは、小さいころは「小ザル」若いころは「サル」って呼ばれていたんだ。
それは顔がサルに似てたのかも知れないけど、性格もあらわしていたとおもう。
サルは身体は小さくても、岩山や木のあいだを飛びうつり、すばやく動きまわる。また動物の中ではいちばん頭がよく人まねもする。
つまりこのあだ名は、秀吉の小柄ながら行動のすばやさ、かしこく頭の切れる性格をあらわしているんじゃないかな。
また織田信長に仕えてから7年ぐらいたった頃には「サル」から「ハリネズミ」にあだなが変ってきたんだ。
ハリネズミは背中の毛が針のようにたっていて、危険を察知(さっち)するとからだを丸め、針をたてて身をまもる小ちゃなネズミ。
当時のサムライはチョンマゲを結うために頭のなかほどを剃っていたんだ。
でもしばらく剃らずにいるとちょこちょこと毛がはえてハリネズミのようになるから、そう呼んだかも知れない。
でも信長は秀吉のことを、守りの堅い戦略家、そしてハリネズミのように針をたくさんもっている要注意人物と見抜いていたんじゃないかな。
墨俣(すのまた)の一夜城
まだ無名だった秀吉が世間に知られるようになった功績が墨俣(すのまた)城の築城。
そのころは木下藤吉郎(きのした・とうきちろう)って名のっていたんだ。
信長は美濃(いまの岐阜県)を落とすための拠点としての城をつくりろうと、2度ほど家臣に命令してやらせたけど失敗。
そこで木下藤吉郎が「オレにやらせてくれ」といってみごと短期間で城をつくっちゃったんだ。
それが墨俣(すのまた)の一夜城なんだ。まさか一夜できたわけじゃないけど、そのくらいビックリするスピードだったんだ。
そんな大口をたたいて、もし失敗したら信長の性格からすれば打ち首は必定。はんぱな覚悟や度胸じゃできないよ。
それに成功するという目算や確信がなけれりゃ単なる無謀なバカだよ。
成功のカギは2千人の野武士の親玉、蜂須賀小六(はちすかころく)の協力があったからなんだ。
藤吉郎がどうやって蜂須賀小六を見方につけたんだろう。
人を引きつける性格?話術?もちまえのウイット?どちらにしても命のかかった失敗の恐怖より、
成功して認められたいという欲のつよさが、秀吉の覚悟や度胸をつくっている気がするんだ。
天下人となった豊臣秀吉
目標にむかって走っているときと、目的をたっせいした後で性格が変わるのはよくあることだよね。
でもそれはもともと持っていて隠れていた性格が出てくるのかも知れないけどね。
天下人となった秀吉も同様に変ってきたようにおもう。
いちど権力をにぎると人間はわがままになるか、横暴になるか、それを維持しようとまもりに入るんだ。
いまの日本にも最近のニュースにもそんな話しゴロゴロしてるよね。
刀狩(かたながり)令
秀吉のおこなった政策のひとつに刀狩令がある。これは農民が刀をもつことを禁じ、刀をすべて取り上げちゃったんだ。
おもてむきは百姓一揆(いっき)などで無益な殺しあいをなくすためだけど、
じつは農民と武士の身分をわけること、つまり農民が武士になれないようにする政策なんだ。
エーなんで秀吉は農民の出身じゃない!、そうだよだからこそ自分のような成り上がりの出世は、自分だけにしたかったんだ。
まもりの姿勢そのものだよ。良い意味でいえば、今の世を安定させる賢い政策。
悪い意味でいえば、じぶんの地位を守るための臆病な政策。あなたはどうおもう?
秀吉の女性関係、好みは?
秀吉は25才の頃「ねね」という妻をめとったんだ。
当時の結婚は見合いか(大名や武将の場合)政略結婚がほとんどだけど、秀吉のばあいは一目惚れで求婚しためずらしい恋愛結婚なんだって。
その「ねね」が信長に「最近うちの亭主の浮気が激しくて」ってチクったんだ。
そこで信長はハリネズミ(秀吉のあだな)って秀吉を叱責して「ねね」をなだめたってエピソードがあるんだ。
でも不思議なのは秀吉ははっきりいってイケメンじゃないし、背も高くない、むしろかっこ悪いタイプなのに、なんでそんなに浮気できたの?
不倫はあたりまえ
じつは不倫が罪として罰せられたのは江戸時代から後の時代。なんと古代や中世の日本はフリーセックスだったんだよ。
ためしに「源氏物語」や「百人一首」を読んでごらん、不倫や恋の歌がほとんどじゃないか。
江戸時代でも遊郭や岡場所(お金でセックスが買える、今でいう風俗)で遊ぶことは罪にならなかったんだ。
秀吉の時代でも浮気は、こまった悪いくせ程度のことだったんだ。
でも身分が低くお金もそんなにない、イケメンじゃない男を相手にしてくれる女性がそんなにいるはずないよね。
そんな秀吉に浮気ができたのは、それなりの魅力や好かれる性格を持っていたのかも知れないね。
黄金好きと側室(めかけ)
秀吉が黄金の茶室をたてたことや、豪華で贅沢好き、とくに金色が好きなことは有名。
天下人となり権力と財力を手にしてから秀吉の性格が変わったっていわれる。
おもうように金と力が使えるようになると、タガがはずれて我がままになり贅沢になるのは、人間のもつ本能のような気がするんだ。
秀吉も性格が変わったんじゃなく、本能のままに行動した結果だとおもう。
また秀吉の側室(めかけ)にも特徴があるんだ。
ふつう大名や武将は容姿の美しさや気だての良さで選ぶんだけど、
秀吉のばあいは「ちゃちゃ」織田信長の妹の娘、「まあ姫」加賀の大名前田利家の娘、などの名門の女性・一級品をずらっと11人もかかえていたんだ。
これにも農民の出から権力と財力のトップに駆け上った秀吉の、本能的なコンプレックスの裏返しの性格がみえるとおもうんだ。
まとめ
ここまで豊臣秀吉の性格をエピソードなどから探ってきた。いろんな見方や感じ方はあるとおもうんだ。
出世の途中でみせた野心あふれる攻撃的な性格、天下統一を果たしトップに立ってからの守りの性格。
そのどちらにもある秀吉の知性の内に、勇気と臆病の入り混じった性格があるような気がします。
秀吉の性格の変化は、わたしたちだれもが持っている本能的な性格、まるで人生の縮図をみているようなきがするんだけど、いかがだったでしょうか。